客観的な行為

「観る」というのは客観的な行為、「する」というのは主観的な行為である。人は結局自分の人生を生きなければならない。あくまで生きるというのは自分自身の主観的な行為である。自分でしなければどうしても身につかないということは確かにある。だから「する」(生きる)という行為は尊い。だが、そこに客観的な「観る」行為が欠けるのならば、自分を失ったり自分の狭い価値観に閉じこもることになってしまう。理想の生き方は自分の「する」行為を常に同時に「観る」ことである。時分の身を持って体験しながら、それを常に冷静に俯瞰するもう一人の自分を意識し続けること。


「観る」という行為は実は恐ろしく深いのだー梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」