消費者が求めているもの

消費者が本当に求めているのはコンテンツでは無い。
では本当に求めているものは何か。


音楽において求めているものとは


アメリカ音楽界の現状を見てみると
1、アーティストのツアー売り上げも増えてる
2、楽器の売り上げに至っては激増


これらが意味するのは、「体験」ということになるだろう。コンサートに参加することと、自分で楽器を演奏すること。両方とも「唯一無二の体験」である。ニコニコ動画でコメント祭りに参加するのも、そうした体験の一つだと言えるだろう。コンテンツは今や、体験する、あるいは体験を共有するための、トリガに過ぎない。


体験は、少なくとも現在の技術ではコピーできない。コピーできないその場限りの唯一無二のものであるという点で、コピーの氾濫する現代において 相対的な競争力が高まっている と言える。将来技術が進歩して体験もコピーできるようになると、体験さえも競争力を失うのかもしれないが・・・


webにおける価値について


今のオンラインメディアのマネタイズは主に Google AdSense のようなコンテンツをベースにした方法によって行われているが、これについても体験をベースにしたものに早晩移行していくだろう。


「フィードの Scraping によってコピーblogを作られた、著作権侵害だ」と叫ぶアメリカ人は後を絶たないようだが、それでは「P2PのせいでCD売り上げが下がった」と叫ぶ音楽業界と大差無い。コピーごときで収入の機会を奪われるような脆弱なビジネスモデルの方に問題がある。Blog で金を稼ぐための新しいビジネスモデルが必要だろう。


物理メディアにおいて求めてるものとは


人間には「見たい欲」と「所有欲」の二つがあって、CDやDVDのような物理メディアの形でコンテンツを所有したがる習性がある。しかしこれは、コンテンツ自体を消費者が求めている、ということとイコールではない。消費者は「所有している実感」を求めているのだ。


例えば動画メディアについて考えて見る。「いつでも繰り返し閲覧できます」と言っても、ストリーム配信では所有感が薄い。DRMのかかったダウンロードはその次ぐらいになる。DRM無しのダウンロードはかなり実感が高まってくる。そして物理メディアがあると実感としても最高になる。実はコンテンツの中身よりも、器の方が重要であったりする。


所有していることを周囲に誇示する


「所有を示す」ことの社会性が違法ファイル交換を促進しているという側面もある。例として適切かどうかわからないが、チャイルドポルノ愛好家のコミュニティではそのような「こんなに凄い画像を持っている」と示すことの快感が、違法ファイル提供に人々を駆り立てている、という指摘が、実際にチャイルドポルノ容疑で逮捕されたコミュニティメンバーから為されている。


このように、コンテンツ所有の背景には、コンテンツの中身だけでなく、社会的行動への欲求というものも存在してする。これも「社会的な体験」への欲求である、と言い換えられるだろう。


その社会的体験を得るためのキーとしてコンテンツが位置づけられているのが現在の状況だ。権利者側は社会的体験から独立してコンテンツ自体に価値があるとして議論を進めたがっているが、これは正しくない。もし本当にコンテンツを売りたいなら、社会的体験との連携をさらに進めるような販売戦略を取るべきだろう。そのような体験を得る機会をオンラインサービスとして提供することも効果的だ。この方面にはまだまだアイデアを働かせる余地がある。


しかしそうやってもなお、将来的にはコンテンツ自体が滅びていくように私には思える。それは、コンテンツ自体の本当の必要性というものが、我々が常識として思い込んでいるよりも遥かに低いからだ。


マーケティングの金言
コンテンツの終焉