日本人にとって重要なのは中身ではなくカタチ

日本人にとってお中元の中身が何かということはあまり重要な問題でない。とにかく贈ることが重要なのだ。それによって相手への誠意が示される。そして誠意を示すのは、贈るのに要する手間であったり、あるいは購入に要した金額であったりする。手間のかかるものであればあるほど、あるいは高価であればあるほど、自分を犠牲にした、つまり相手に対して誠意を尽くしたということになる。


規則についても同じことが言える。日本人にとって規則の中身が合理的であるかどうかは重要ではない。「規則を守っていること」それ自体が、集団に対する忠誠を表す。むしろ非合理的な規則を守るほど「そこまで自分を犠牲にして集団に尽くすとは天晴れな奴」と評価されたりもする。


ただ、このような文化は日本独自のものではなく、貨幣経済が浸透する以前の贈与・互酬文化にはよく見られる話である。つまり日本文化とは、貨幣経済以前の、契約ではなく誠意に立脚する文化なのだ、と考えるとわかり易いのではないだろうか。


なぜ理不尽な規則が生き残るのか