情報をフローする

情報を「持っていること」すなわちストックによるコンピタンスは、時代とともに減少し続けてきており、その流れは遥か先史時代にまで遡ることができる。人類が文字を発明する以前は、過去を記憶していることがコンピタンスであり、老人が尊敬されたのもそのためだった。文字の発明は、当然ながらその時代のことが記録に残っていないのでよくわからないが、おそらくは活版印刷の発明以上のショックであり、大きな社会変動をもたらしたと推測される。


その後も情報ストックのコンピタンスは弱まり続けてきた。ヨーロッパで活版印刷による聖書が作られると、教義という情報ストックを源としていたカトリック教会の支配が解体され、宗教改革という荒々しい波が水面上に姿を現すことになる。


ストックに代わって興ってきたのは、情報フローをうまく活用することのコンピタンスである。情報をストックとして隠し持っても、それを永続的な価値とすることはもはやできない。「他人より早く手に入れた」という一時的な価値が関の山である。そして Internet 社会が到来すると、隠し持つよりも、「他人より早く情報を手に入れた」ことを自慢する方が、大きなメリットを生むようになった。


もちろんただ単に自慢するだけでなく、手に入れた情報に新たな価値を付加して放流する方が、より大きなリターンをもたらす。付加価値をつける方法としてはフィルタリング/要約/解説/延長/組み合わせなど様々なものがあるが、そうやって「情報に付加価値をつけてフローを生み出せる能力」が大きなコンピタンスとなるに至ったのだ。


ストックに価値があった時代は、能力や意欲が衰えた後でも過去の蓄積で食っていくことが可能だった。しかしこれからの社会では、人は常にフローを出し続けることを求められる。更新の止まった blog が見捨てられるように、フローを出せなくなった人はそこで終り。


情報のストック vs フロー