快適さの階層性について

家の家具をいくら工夫したところで、家の立地条件や広さなどの基礎の部分はカバーすることはできないように、「快適さ」というものにも階層性があって、ある階層で生じた不快は、それよりも上位の階層でどれだけがんばっても、挽回することはできない。


どれだけスペックのいいPCでも、お布団でごろごろしながらインターネットを見ることができる携帯に勝つことは難しい。それは、いいスペックのPCってのは上位の階層にあたり、お布団の中や起動時間が基礎の階層にあたるから、スベックで挽回することが出来ないんだと思う。


こういうのもたぶん、「n-clickを1-clickにすると商売になる。1-clickを0-clickにすると革命になる」という言葉に連なる現象。「1-click」に相当するのは、「布団から出て3歩歩く」ことであって、革命と言っても、起きたことは「お布団に潜ったままでインターネット」なんだから、それはずいぶんとだらしないものなんだけれど。


「携帯電話でインターネット」が当たり前という文化に育った人、「そこまで行く」面倒くささを解消してしまった携帯機になれてしまった人には、デスクトップPC で見るインターネットだとか、据え置きゲーム機で楽しむテレビゲームは、そこに行くだけのほんのわずかな手間が、恐らくは我慢できない煩雑さに見えてしまうんだろうと思う。


内装をどれだけ立派にしたところで、基礎がグラグラの家には人が住まないように、据え置き型ゲーム機がどれだけ高性能に進化したところで、携帯電話世代の人たちを、据え置き型ゲーム機の世界に引っ張り込むのは難しいんだと思う。


「これはこういうものなんだ」体験のこと
スマートフォンが消し去ったもの