匿名性とゲーム理論

ネットにおける匿名性には実名との一致と、追跡可能性という二つの問題がある。


実名と一致していなくても追跡可能というケース


最近の 2ch だとトリップ付きの固定ハンドルにするなどだと、実名とは一致していないが、特定人物の発言をずっと追跡可能だ
私は、実名と一致してるかどうかは割とどうでもよく、追跡可能性こそ重要だと考えてる


なぜ人類の社会で倫理というものが生まれたか


囚人のジレンマでは、利己的にふるまうことが最も利得を大きくする
ところが、繰返し型の囚人のジレンマでは、利己的に振舞うよりもしっぺ返し戦略などの方が利得が大きくなる
つまり、善人と悪人を峻別し、悪人を罰するような戦略を取ることが、自分にとっても良い結果をもたらす
また興味深いことに、しっぺ返し戦略には、単に悪人を罰するだけでなく、改心したと認められれば許す、という条件も加えられてる
人類社会の中で善悪の概念や寛容の美徳といったものが発達してきた理由は、このようなゲーム理論によって説明できそうなのだ


しかしこのしっぺ返し戦略を取れるためには、相手の履歴がわからないといけない
相手が何者か全くわからない状態であれば、また自分が悪さをしてもその履歴を将来誰にも知られずに済むようであれば、しっぺ返し戦略は効果を発揮せず、利己的に振舞う方が得ということになる
2ch のような追跡不可能な匿名環境は、まさにこの状態にある
あの巨大掲示板が罵倒や荒しの温床になってるのも、参加者の自覚や倫理感が足りないのではなく、ゲーム理論的に考えてそうなるのが必然なのだ、と思う


Wiki と匿名性